ル・マンの怪物  | GT Colour Lab™️ #2

ル・マンの怪物 | GT Colour Lab™️ #2


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カニンガムはアメリカのスポーツ界に大きな影響をもたらした

Cunningham C-4Rのエンブレム。©︎Valder137

 

K: ブリックス・カニンガムは単なるアメリカ人レーシングドライバーではありません。アメリカのスポーツ界にとてつもなく大きな影響をもたらした人で、ゴルフ、テニス、ボクシング、ボブスレーなど、あらゆるスポーツに精通していて、相当の資産家でもあったそうです。中でもヨットレーサーとしては伝説的な選手として知られていて、戦後初めて行われた1958年の *アメリカズカップでもチームオーナーであり、*スキッパーとして優勝しています。ちなみに彼が当時デザインした帆のテンションを調整するための装置は革命的な機能を備えていて、今でも一般的に「カニンガム」と呼ばれているそうです。


S: ヨットの歴史にも多大な影響を与えているんですね。そして、言われてみればホワイト&ブルーのナショナルカラーはどことなくマリンスポーツにも共通する色の様にも感じます。アメリカ海軍の制服、いわゆる水兵の「セーラー服」も白地にブルーのストライプですし、カニンガムがヨットレーサーであったことを考えるとこのカラーは確かに彼にとっても自然だったのかも。

K: カニンガムは著名なヨットレーサーであると同時に*SCCA (Sports car club of America) が1948年に開催した初めてのレースからドライバーとして出場していて、当時のSCCAの中で非常に優秀な成績を収めていました。90年代以降、彼の功績を讃えアメリカズカップの殿堂と、国際モータースポーツの殿堂にも同時に輝いています。

S: 聞けば聞くほど完璧な男ですね。
 

ライバルチーム「セプター」のスキッパー、グラハム・マンと会話するカニンガム(1958年)
アメリカズ・カップにて ©️George Silk / LIFE MAGAZINE


K: いずれにせよ1950年周辺の時代もこの様な国際レースに定期的に参戦出来るのは、あくまで上流階級の人間だけであるということに変わりはありません。増してや同時期にヨットレースだけでなく*ル・マン24時間にも出場し続けるなんて、常人ではあり得ないことです。カニンガムの名前を冠した色の名前であったり、名称であったりが今でも多数残っているという時点で50年代を代表する偉人の一人であることは間違い無いでしょう。

S: 彼が何度もル・マンに出場し続けるだけの実力と財力があったのであれば、カニンガムカラーがナショナルカラーとして世間的に認知されて行ったとしても頷けますね。当時国の威信を背負って国際レースで戦っていたことを考えると、この色は今で言うオリンピックのユニフォームの様な意味合いなんだろうな。

 

 
©︎Alamy

K: 1951年にカニンガムは初めてホワイトにブルーのレーシングストライプが施された車を発表しました。クライスラーのV8エンジンを積んだC-2Rです。この車が初めて自動車にレーシングストライプを施された車だったという説が有力のようですね。一説によると、元々シャシーに塗られていた識別用のブルーが自動車の構造が変化したことにより、外からは見えなくなってしまったので、その代わりにボンネット上に2本のストライプを引いた…という話もあります。ちなみに1950年代初頭にFIAに登録されていたレースのナショナルカラーには、まさにホワイトに2本のブルーストライプといった記述があります。ここが「カニンガムストライプ」と呼ばれる由縁でしょう。

S: フロントグリルに©︎マークが入っているのがかなり特徴的で面白いデザインですね。C-4Rと比べるとロードカーらしさが強くて普通に乗れそう。


1976年頃に発行されたLong Island Auto Museum Southamptonの絵葉書。ミュージアムは現在廃墟となってしまっている。


K: 1950年当時、ル・マンに参戦するためにはレギュレーションのひとつとして、レーシングカーのベースとなる車両を最低25台は生産する必要があったようです。カニンガムC-2RのベースになったC1と、C-4RのベースになったC3は、*ホモロゲーション取得のため必要最低限に製作されたモデルなので、ロードカーとして乗ることができますよ。しかしながら、どちらも数台しか現存されていない、アメリカのモータースポーツ史にとっても価値が高い車なのでオークションでもとても人気が高い車です。

 


 雑誌「Mechanix Illustrated」で紹介されたCunnigham C3の記事 (1952年)

S:「Briggs Cunningham_ America’s Sports Car King」って、彼の存在を物語る強烈なキャッチコピー。また、この時の特集が「科学は生活を変えるか?」だったり「新しいトランジスタを使ってラジオを作ろう」というのが当時の文化を物語っていますね。

ちなみに実物のC-4Rを見たことはありますか?僕らが一緒に*グッドウッド・リバイバルに行った時は多分見ていなかったと思うんですが。

K: 僕はカニンガムにまつわる大体の車はグッドウッドで見ていますよ。確かに一緒に行った時はなかったかも。もちろんC-4Rも間近で見ています。
あ、そして...そう言えば、「モンスター」もいましたね。

S: モンスター?


 

カニンガムの問題作「ル・マンの怪物」

 ©︎Alamy

K: この車が「ル・マンの怪物」と呼ばれたカニンガムの初期の問題作ですよ。フランス語読みだと「LE MONSTRE ル・モンストレ」になるのかな。レギュレーションの影響でデザインがえらいことになった伝説の車体です。飛行機の尾翼みたいな楔状のボディにそのままタイヤをつけた様な異様なデザインでしょう?

S: これはまたかなりクレイジーなデザインですね。なんだかライトの形状とか、水陸両用車とか潜水艦の様。そしてカラーは同様だけど、まだ2本のストライプではないですね。どうしてこんなことになっちゃったんでしょう?

K: カニンガムが初めてル・マンに参戦しようとした1950年、彼は当初フォードにキャデラックのV8エンジンを積んだハイブリッド・通称「フォーディラック」で参戦しようとしたのですが、オーガナイザーに却下されてしまった。当時はボディはいくらでも改造可能だったんですが、他のエンジンへの載せ替えはレギュレーションで禁止されていたんですね。そこでカニンガムは予定を大きく変更して、1台は普通の市販状態に近いキャデラック、もう1台はキャデラックのエンジンとシャシーはそのままに、ボディをとっぱらって、重量と風の抵抗を考慮したボディーを載せた結果、このモンスターが産まれることになりました 笑 
もちろんこの明らかに異様な見た目にもかかわらず、今度はレギュレーションには全く違反していない。これには彼なりのユーモアもあったのかも。

 1950年ル・マンのパドック。左:Le Monstreと右: Petit Pataud ©︎IMAGO


S: でもカタチはどうあれ、初出場で24時間耐久を11位フィニッシュは凄いですね。一見ハリボテの様な見た目ですが、ちゃんとル・マン カーとして完成している。カニンガムはきっと何をさせても豪快で有言実行な男だったんだろうな。

K: だから今でもこの車が「ル・マンの怪物」として語り継がれているんでしょうね。一方で、もう1台のキャデラック シリーズ61は当時モンストレの予備として用意されていて、皮肉をこめてプチ・パトー (フランス語で不器用な子犬)と呼ばれたそうです。同じくル・マンに出場し、その年10位でフィニッシュした特別なキャデラックですが、この怪物と比較され続けた上に子犬扱いされたらひとたまりもありません。

S: 考えてみるとカニンガムはこの翌年の1951年からオリジナルの車体C-2Rで出場しているんですね...。たった1年で途方もないほどにブランドが進化しているように思えます。本当に凄まじいバイタリティーですね。1950年というとどうしてもF1のイメージが先行してしまいますが、ここにもモータースポーツを語る上で筆舌しがたい程のドラマがありますね。

K: 本当にそうですね。B.S.Cunningham Companyが制作したCシリーズは、C-2R以降、毎年の様にアップデートされ最終的にC-6Rまで製造されましたが、1955年のル・マン出場を最後にオリジナル車体の開発が終了しています。カニンガム自身の年齢的な問題でC-シリーズのプロジェクトの更新を止めたという記述が残っていますが、このスピードで開発と参戦を両立させていくのはあまりに大変なものだったと容易に想像できます。

しかし、カニンガム自身がレーシングへの興味を失ったわけでは全くありません。1956年以降は様々な車種を使って、ル・マン24時間、そしてセブリング12時間への出場を続けていくんです。もちろん、全ての車はアメリカンナショナルカラーでね。

 
©️The Revs Institute 

アメリカンナショナルカラーにペイントされた
Jaguar D-Typeに乗るブリッグス・カニンガム。
男の挑戦は、まだ終わらない。




【連載企画】 GT Colour Lab™️
   次話 「北米にフェラーリを輸入した男たち」を読む





注釈

*America's Cup
 アメリカズカップ

1851年創立から現在まで続く、権威ある国際ヨットレース。1937より第二次世界大戦の影響で一時的に開催が見送られていたが、1958年より再会された。ブリッグス・カニンガムは数々の功績を認められ、1993年に殿堂入りしている。

*Skipper
スキッパー

ヨットチームにおける船長・艇長。ヨット競技では舵を握る役割を持つ。

*SCCA (Sports car club of America)
スポーツカークラブ・オブ・アメリカ

1944年に設立されたアメリカ合衆国の自動車レース統括組織。Can-Amをはじめとする数々のレースを開催してきた。
 

*Heures du Mans 24 (LE MANS) 
ル・マン 24時間レース

1923年からフランスのル・マンで行われている24時間で周回数を競う耐久レース。WEC(世界耐久選手権)のうちの1戦でもある。ブリッグス・カニンガムは1950年から1963年に渡り計10回参戦した。モナコグランプリ、アメリカのインディ500と並ぶ三大レースのひとつ。

*Homologation
ホモロゲーション

「承認」・「認証」を意味する。レースで使用するための車両には、主催者が予め設定した連盟の「認証」を取得する必要がある。これらの規則はFIAをはじめとする各連盟の定めにより、安全性や部品の適性などを加味した上で厳格に設定されている。
 

*Goodwood Revival
グッドウッド・リバイバル

イギリス南部・チチェスターで毎年9月に行われるクラシックカーレースの祭典。基本的には1948年〜1967年までの「レース史に重要」な車のみが招待を受け、グッドウッドサーキットで行われるレースイベントで出走することが出来る。会場及び来場客は1960年代までのドレスコードで装飾されているのが特徴。ちなみにネグローニは2019年まで毎年出店していた。

 
Cover Photography
©️IMAGO