「あのブルー」について。 | GT Colour Lab™️ #1

「あのブルー」について。 | GT Colour Lab™️ #1


     
 とある日のアトリエ。この日の雑談も、相変わらず「色の話」だ。

 
いつも少年の様に好奇心でいっぱいのデザイナー “S”と、世界中のレースやラリー、クラシックカーの世界を渡り歩いてきた若き賢人 “K”。彼らは善き師弟であり、友人でもあり、様々な国を共にした最高の旅仲間でもある。

そして、この日の話題は「あのブルー」について。
数分で終わるはずの話が、いつものごとく大きく脱線してしまい…


アメリカンレーシングを象徴する「カニンガムストライプ」

©️writegeist


S: ちょっと質問なんですが、この写真の車についてご存知ですか?

K:  ああ、もちろん。これはブリッグス・カニンガムがレースをしていた頃の車ですね。多分50年代のものかな。この白地に青のストライプは正に当時のアメリカのナショナルカラーですね。なんでまたこの車を?

S: 実は最近イタリアのタナリーで新しい色のコーティングスプリットレザーを2色作ってもらったんですが、僕のイメージが正にこのブルーで。ただ、なんという色名のブルーなのかがわからず気になっています。このブルーの名前って、知ってます?

K: ブルーの色、なんだろう。この時の白い車体は彼の名前をとって「カニンガム・ホワイト」だったり、時に「アメリカン・ホワイト」と呼ばれてりしていたそうですが、この時のストライプに使われていたブルーの色名までは正確にはわかりませんね。ただ、当時は誰かが同じ色でいろんな車、カテゴリーに参戦していることが良くあって、カラーリングによって誰のチームの車かを判別していたケースもありました。ちなみにこの写真の車はフロントデザインが特徴的なC-4R。フィラデルフィアの *シミオン・ファウンデーションに所蔵されている車でしょうか。

S: 写真を見ただけでどこに所蔵されているかまで判るなんて流石ですね!ちなみにこの様なナショナルカラーで自分のレースカーをペイントするのは当時一般的なものだったんですか?

K: いえ、むしろ当時このカニンガムが設定した「ホワイトに2本のブルーストライプ」が後にアメリカンレーシングを象徴とするナショナルカラーの1つになっていった…と言われています。そして、アメリカでは「レーシングストライプ」自体のことを「カニンガムストライプ」と呼ぶこともあるそうですよ。


©️Goddard Automotive


S: え、そんな逆説的な話なんですか?確かにイギリスのナショナルカラーと言えばブリティッシュレーシング・グリーンだし、イタリアはロッソ・コルサ(赤) のイメージが強いけど、アメリカにはあまりナショナルカラーを連想するキーワードがあまり思い浮かばないですね。



ナショナルカラーの起源

K: そもそもモータースポーツにおいて初めてナショナルカラーが定着するきっかけになったのは、Gordon Bennett Cup (ゴードン・ベネット・カップ)という国別対抗自動車レースだと言われています。 世界初の国際規定に則って開催された国際大会で、そのレースの出場車を識別するために各国を表す色が決められました。 その時のアメリカのナショナルカラーは、赤。

S: えぇ、赤と言えばイタリアの様な気がしますが…?

©️National Museum of American History / Gift of The Winton Engine Co. 
ウィントン・バレットの周りには大きな人だかりが。物珍しそうに眺める少年たちが印象的である。(1903年)


K: ゴードン・ベネット・カップは1900年から1905年にかけて6度開催されました。いわば日本の明治時代にこんな大排気量の車を使って自動車レースをしていたんですから、当時は貴族や皇族、そして著名な実業家といった、限られた上流階級が威信をかけて挑戦するものだったのだと思います。アメリカからは、全米初の自動車販売を成し遂げた実業家 アレクサンダー・ウィントンが、自社開発のWINTON BULLET (ウィントン・バレット)で出場していました。

…ちなみに当時決められたばかりのナショナルカラーでは、まだイタリアは黒だったそうです。

S: なるほど、ナショナルカラーも変遷するケースがあるんですね。イタリアが黒とは正直イメージが湧かないな。

K: ところが、ゴードン・ベネット・カップ終了直後の1907年に行われた「北京〜パリ 10000マイル横断レース」でイタリア貴族 ボルゲーゼ王子が乗った真っ赤な *ITALA 35/45HP が優勝したことがきっかけとなり、イタリアは一転ナショナルカラーとして赤を主張し始めます。

S: というか、その時代に北京とパリを車で10000マイル横断って…スケールが大きすぎて話が入ってこない!

1907年当時のITALA 35/45HP。
ステアリングを握るボルゲーゼ王子。

 

K: まるで映画の様な話ですよね 笑 

一方で、1904年のゴードン・ベネットで惨敗してしまったアメリカは、自国の自動車産業をもっと強化するためにアメリカ国内で開催する国際レースへと主戦場を移して行きます。ヨーロッパでの参戦を減らしていったアメリカは、ナショナルカラーを維持する求心力を失っていったのかもしれません。

そして、1920年頃からイタリアは本格的にロッソ・コルサ(赤)をナショナルカラーとして使い始めます。 この時からの伝統は、今のフェラーリやアルファロメオにも脈々と伝わっていますね。


アルファロメオ P2 8C/2000に乗るのはアントニオ・アスカリ。French Grand Prix (1924年)
©︎Look and Learn / Frederic Gordon Crosby


S: ここからロッソ・コルサが登場したんですか。全く知らなかった…。そして時代を経てアメリカのナショナルカラーは星条旗をイメージする赤からホワイト&ブルーへと変化していったんでしょうか?

K: 確かに、星条旗から赤を引いたら青と白が残りますよね 笑   正直、ここから先は様々な説がありますが、1900年代初頭の自動車にはまだボンネットという機構がないものも多く、いわばシャシーが剥き出しになっている時代です。なのでボディとシャシー、そしてエントリーナンバーに、事前に登録した色を塗って識別していたそうです。もちろん映像判定なんて全くできない時代ですから、視認しやすい色を予め設定する必要がありました。当時の資料には、各パーツごとの色が識別用のナショナルカラーとして細かく登録されています。
 

1909年のブリッツェン・ベンツ。 ボディからシャシーまでドイツ帝国登録色のホワイトに塗られていることがわかる。©︎ Thesupermat



     
 しかしながら、1910年以降にアメリカの車体として、ボディが白でシャシーが青に塗られていたものがあった…という話も残ってはいますが、明確なナショナルカラーの記述は、残念ながらあまり残っていません。

S: 40年近くのあいだ、空白期間のようになっているんですか。その時期はまさに第1次・第2次世界大戦の年代とも被りますよね。ここでアメリカのナショナルカラーの伝統は途絶えてしまったのか。

K: やはり大陸同士が離れていたので地政学的な問題もあったと思います。落ち着いて出場国を改めて見ると、戦時中の敵国同士のエントリーも普通にありますしね。
 
だから、レーシングカーの色ももちろんなんですけど、航空機や船舶にもやはり国や階級を識別するための「ナショナルカラー」という概念が元々あって、特に戦時中はそれで敵味方を識別したり、所属・国籍を識別していました。国旗もナショナルカラーを表す要素の一つです。そして、ホワイトとブルーはアメリカでは軍事や船舶に使われていた、国にとっての重要な色でした。この色がレーシングの世界に転用されて行った可能性もあるそうです。

ただし、ホワイトとブルーを新たなナショナルカラーとしてモータースポーツの世界に定着させたのは、間違いなくブリックス・カニンガムだと言われている。

S: アメリカのナショナルカラーを制定し直したカニンガムって一体何者なんですか?

 




1954年4月26日に発行された雑誌TIMEの表紙。

ブリックス・カニンガムとは何者なのか。
©︎ERNEST HAMLIN BAKER

 

【次話】 GT Colour Lab™️ #2 「ル・マンの怪物」はこちら





注釈

*Simeone Foundation 
シミオン・ファウンデーション 

脳神経外科医であり、著名なクラシックカーコレクターである故 フレデリック・シミオン博士の財団。フィラデルフィアには財団が運営する自動車博物館がある。


*ITALA イターラ
かつて1904年から1934年までイタリア・トリノに存在した自動車会社。1900年代初頭にタルガ・フローリオなどのレースで活躍するレーシングカーの製造開発に尽力したが、後にFIATなど数社に買収された。
 
 
Cover Photography
©️The Revs Institute